ネパールでのヒマラヤ登山を終えた後、カトマンズでの生活が気に入って、11月下旬から2月上旬まで3ヶ月間滞在した。 |
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ヒマラヤ登山の為に結成されたイエティ同人は、当時ネパールのカトマンズに、一軒家を借りていた。 登山に必要な装備等を登山に行くたびに日本から輸送するのは不経済な為、物価の安いカトマンズで年間を通して家を借りていたのだった。 もっとも小さな納屋みたいなものだったが・・・ この「イエティ・ハウス」の2Fがカトマンズ滞在中のねぐらで有ったのだった。 |
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その間、旅行会社の現地スタッフの仕事をしたり、次の登山の偵察の為に一人で山に入ったりと、過ごしていた。
その間知り合い友人となったウペンドラ君(上右端)の妹さんの結婚式に招かれた。 |
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当然の事ながらスーツなど持っていなくて、汚い格好で出席してしまった。 ネパールの結婚式は、いろいろな手順があり、普通は、4〜7日間に渡り、お祝いが続くのだそうだ。 赤い衣装を着た女性が花嫁。花婿が登場するのは、翌日だそうだ。 |
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イエティ・ハウスでの生活は楽しいものでした。
同じようにネパールに来ていた登山隊の連中と友達になり、‘スキヤキ’パーティを開いたり、ヒマラヤに限らず、人生の夢などを熱く語り合ったり・・・。 正月前後は日本の旅行社の現地雇いスタッフの仕事で、空港からホテルの送迎、手配などの仕事をしていました。 知り合いになった女子大生のバックパッカー達と大勢でネ/中 国境のコダリに遊びに行ったのは楽しかったですね。 |
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知り合いになったネパール民族学研究家夫妻の引っ越しにつき合い、カトマンズから300km離れたポカラまで50ccのバイクで走ったこともありました。この時は途中で日が暮れ、雨も降り途中で転倒してしまい、さんざんな思いでポカラにたどり着いたものでした。
また、切れてしまうビザの再交付のために、一度陸路で出国して、再入国したりした。 |
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1月中旬になり、旅行会社の仕事が終わると、次のヒマラヤ登山「ガウリシャンカール峰」のためにロールワリン地方に偵察に出かけました。 単独で、17日間の山旅だったので寂しかったのですが、何とか偵察の役目を果たし、またカトマンズに戻ってきました。た。この一人旅でネパール語がずいぶん上達したように思いました。
ネパールでの予定が終わったので、インドに出かける事にしました。 しかし、キャラバンの途中で立ち寄ったチモアの「旅籠」に置いてあった『インドを歩く本』を読んで、「インドは面白そうだなぁ〜」と云う思いが強くなり、1〜2ヶ月掛けてインドを旅してみよう! と思い立ったのでした。 |
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初めに落ち着いたのはバラナシ(ベナレス)、ガンジス川中流域のヒンディの聖地だ。ここにはどうしても来たかったので、最初に来てしまった。 | |||||||||||||
ガジジス川のガート。ヒンディー教徒の聖地。 朝日が昇るとき、ヒンディーの人々は祈りを込めて沐浴する。2月の下旬。明け方はセーターが欲しい寒さの中でだ。 |
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バラナシから程近い サールナート。 バラナシの喧噪は無くとても落ち着いた所だった これはヒンディーの |
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